今日の雑感(20180808)

問いを立てることは、人生をより良いものにするために、極めて重要なことだ。

いや、それだけではない。問いは、事実をよりはっきりするためにも重要である。

そして、私たちが向き合っている、研究とは問いを立てることに他ならない。

 

 

そうはいっても、その重要性がわかっていても、なかなかいい問いが生まれてこない。

最近は、もはやだんだんと質問ができなくなっている。いろいろな要因があるとは思う。

 

・目上や周りの人が怖い。特に、間違ったことを言ったらとか考えちゃう

・話を聞けていない

・知識が追いついていない

・脳が劣化している

 

 

本当に色々ある。

 

質問に関する本を読むと

具体的にはどういうことかを聞いたり

なぜと聞いたり

それはどこで起きたのかを聞いたり

 

でも実戦ではなかなかそうはいかない

 

質問してればいいだけではないし、

喋るのも得意じゃない

そこで、適切な質問ができれば、うまく話は盛り上がって行くだろうが、私の場合そうもうまくいかない。

 

 

他人と喋らなすぎて、質問下手になっている可能性もあるし

大学院生活で椅子に座りすぎて、脳が逆に劣化したのかもしれない。(ずっと座っていると脳が劣化すると言ったニュースを見たときには、びっくりした)

センスが磨けていないので、いい質問ができないとびびっている

 

 

では、これらをどう解決していけばいいのか。

 

その答えは、今の僕にはない。

 

 

ただ、それでも生きていかなければならない。

だから、下手でも、質問力を磨いて行く必要がある。

 

 

質問 7つの力

質問 7つの力

 

 

質問についてはこの本をとりあえず読んで見た。

日本語訳が読みにくいが、重要そうなことがある気はした。

 

ただ、これを読んだからと言って、質問力がすぐに向上するわけではない。

実践をしていかないと、身につくものではないと、暗記するだけでは太刀打ちできないと実感した。

 

そして、この本を読んでいて、思ったのは

 

「想定質問集」を少しずつ作って行く必要があると感じた。

「想定問答」はテストだったり、議会であったり、いろんなところで作られているかと思う。

それと同じような形で、かつ本当に我々が必要なのは、重要な質問をストックしていくことであるのではないだろうか。

 

馬鹿げたことかもしれないが、話し下手にとっては、その日会話を反省し、どう言った質問をするといいか事後でもいいから、次のためにシミュレーションする必要があるだろう。

 

と言った感じで、今日の雑感でした。

 

LGBTの生産性

国会議員の発言は、LGBTは生産性がない、でしたっけ?

 

なるべく、ニュースとは距離をとっているので詳しくはよくわかっていません。

少しだけニュースを見ましたが

www.huffingtonpost.jp

子どもを作らないことを問題視しての発言のようです。

少子化は確かに社会的な問題となっています。ただ、今回はネットで断片的に広まった「LGBTは生産性がない」といったフレーズに着目して考えて見たいと思います。

 

結論から申し上げると、

LGBTであるだけで、生産性が高いとか低いとか言えるのかというのが僕の考えです。

LGBT以上にそれまでの教育や経験、そして親から引き継いだものが大きく影響するはずではないでしょうか。それを割り引いて考えてもLGBTは生産性に影響を与えるものなのでしょうか。

 

例えば、

お米が好きだから、生産性が上がるのでしょうか?麺類が好きだと、生産性が下がるのでしょうか?

 

ニュースやSNSをちらっと見た限りでは、「LGBTは生産性がない」といったことだけ焦点化され、それについて議論している節があります。

そのことを、少し考えてみると不毛だなと思わないでもないです。

 

だってLGBTだからといって、生産性が高いことも低いこともわからないだろう。

そもそも、ここで各々の発言者が指している生産性って何よ、って話にもなります。

某議員さんは子どもが作れないことに対して発言しています。

事実として、ゲイやレズビアンの方は両パートナーの遺伝子を継ぐ子どもを産むことは難しいかもしれません。そこはどんな立場でも認めざるを得ないでしょう。

ただ、規範として、それが悪いかもまた別問題です。

 

さて、話を戻して

LGBTは生産性がない」ということをあえて、初めて見たときの感想としては、

経済的な生産性がないっといった印象をこのフレーズから受けました。

 

繰り返すようですが、LGBTというだけで生産性が変わるという、その根拠は私にはよくわかりません。

 

ただ、これまでの研究で明らかになっていることは

LGBTを受け入れる都市は生産性が高いということです。(R.フロリダなんかが研究しているクリエイティブ都市論の話です)

 

 

都市が多様性を受け入れるようになっていれば、生産性が高まるという話ですので、LGBTが生産性を高めるのではなく、むしろ都市の形成や意思決定に関わる話です。

 

仮にある都市が政治的意思決定で特定の人を排除したり、村八分のように慣習によって排除したりする。そういったこと をする都市では結果的に人が逃げて行くのだから、生産性をあげようがないといったお話です。

 

何が言いたいかと言いますと、

LGBTを受け入れる都市。それくらいの心の広い(?)都市では生産性が上がるといったことは言えるかもしれませんが、LGBTが生産性をあげるということまでは、言えないということです。

 

・まとめ

LGBTというだけで、生産性が変わるとは考えられない。むしろ、他の人同様に教育や経験が重要になるだろう。

 

そもそも生産性が指していることは何か?某議員は子どもを産めるかどうか、その一方で、一部を切り取って得た言葉だけで考えてしまうと経済的な生産性に考えがいってしまう。

 

 

僕もちゃんと調べて書いているわけではなく、事実確認を怠っていますが、ネットやニュースだけを信じるだけだと怖いなと思った次第でございます。

 

 

 

大学院生活の闇ってあるの?

大学院博士後期課程に入学して、もう半期が終わろうとしています。

今回は大学院生の課題と悩みっぽいものについて適当に書いて見ます。

 

大学院生活の1サンプルとして、参考にしてください

 

 

早いことこの上なく、まだまだ研究が仕上がっていないのは、どうしたものかなと・・・

 

一応現在取り組んでいるテーマとしては、

 

「教員の人事評価と子どもの学力の実証分析」

→ 教員評価は教員の質を上げ、子どもに良い影響を与えるのか

 

「公共施設の再編の効果と要因」

→ 公共施設の再編に財政削減効果はあるのか?そして削減された歳出はどう使われるのか?

 

「大都市の教育サービスが居住地選択に与える影響」

→ 教育サービスで人は居住地選択行動(=引越し)は起こるのか

政令指定都市が権限の行使をしたならば、そこに人口は集中すんじゃね?

(休眠中)(修論テーマ)

 

メインではこの三本の論文が進行中。

優先順位はつけているものの、なかなか進ませるのは難しいものです。

データをちゃんと見ることだったり、そもそものリサーチデザインを見直したり。

あとは、私は気分の起伏がかなり激しいので、それがたたってかなり進む日と進まない日があります(泣)

 

研究者として、叱責を受けそうではありますが、そうなってしまうのです。

多くの指導者に会いに行けば、それはそれでありがたい&参考になるご意見を伺えます。その一方で、説教も入ってくるので、そこはそこで、辛いです。(その内容はここではかけませんがw)

 

そんなこと言っても、まずは論文をパブリッシュしないとどうしようもないのがこの世界です。落ち込むことがあっても、死ななければ、論文は書いていける。その程度で、頑張っていきましょう。

 

全国にはいろんな大学院生がいらっしゃると思います。

楽しい研究生活を送っている人、惰性でただ研究をしている人、周りからいろいろ言われて精神が病みそうな人、調査地域にどっぷり浸かっている人、学生生活を楽しんでいる人・・・

 

この世界で生きていく、参考モデルがない以上、その都度意思決定していかなければなりません。それが、正しいのか失敗のかわからないまま、事後評価もままならないまま。

 

これから大学院に進学する人は、そういった世界を知らないまま飛び込んできます。事前によく考えるよう指導されても、やっぱり経験してみないとわからない点がある。

だから、知らないまま大学院の世界に迷い込んでしまうのは決して悪いとは言えないかな。

ただ、そういった状況であるってわかって入ってきたほうが後々そんなもんか、と思って冷静に次の選択ができるのかなとも思っています。

 

説教くさくなりましたね(笑)そんな立場じゃないんですがね。

 

特にテーマや詳細な内容を考えず書いたので、文章がわかりにくい点もあったかと思います。

それは純粋にすいません。

私の訓練不足です。

そうだとして、ここまで読んでくださった人がいるのなら、感謝です。

ありがとうございます。

 

 

 

政策の効果をどう測ればいいのかー公共施設の再編を例にー

今日は政策の効果の測り方の1つを紹介したいと思います。

 

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今回紹介するのが差分の差法と呼ばれる方法です。

名前を聞いて難しそうだとビビることなかれ、です。

その名前の割に発想的には簡単です。

 

例えば

「公共施設を再編して、支出(歳出)を減らす」というのを政策の目的としましょう。

そうだとすると、再編を実施する前と実施した後で減っていればいいはずです。

画像の表に注目してください。政策の実施の有無(ここでは再編の有無)のところです。再編を実施した自治体と実施していない自治体どちらも支出は減っているようです。

再編の効果があったような、なかったような・・・

これではまだわからないというのが、実のところですよね。

 

そうすると、次に比較したくなるのが、同じような自治体(人口や面積が似ているなど)で再編した自治体と再編していない自治体どちらが、より運営費が抑えられている*1かどうかが重要になってきます。

 

そうすると、びっくりすることに、再編していない自治体の方が、再編した自治体よりも運営費が低く運営できていることになっています。

 

そして、これを通常の計量分析(OLSなど)に乗せてしまうと、政策を実施しないほうが賢いといった結論になってしまいます。

それでは、本当に再編はしないほうがよかったのでしょうか?

 

実はこれは、政策効果を見誤っています。

 

というのも、政策目的に照らし合わせて、重要になるのはどれだけ減らせたかです。

前後の比較をしてみると、再編した自治体は80コストを削減しています。その一方で、再編を実施していない自治体は、50コストの削減をしています。

 

どちらも、削減効果があったとはいえ、公共施設を再編した自治体の方が、再編していない自治体よりも、多く削減に務めています。

 

それでは、肝心の公共施設を再編した効果はどれだけかというと・・・

 

30(=80−50)ということになります。

 

何もしなくても、「何かしらのトレンド」で50は減る。ただ、それ以上に再編を進めることによって、30より多く削減に務めることができるといった具合となります。

 

 

実施前と実施後の差分をとってさらに実施した自治体と実施していない自治体の差分をとる。だから、名前が差分の差法と呼ばれるんです。

 

現在では、差分の差法を使った実証分析も増えています。今回では紹介しませんが、こういったアイディアで考えているんだなと思っておいただければ幸いです。

また、実は、実証分析を行うにあたっても、非常に簡単というのもこの分析のメリットです。

 

 

それでは、今回は政策の効果の測り方を公共施設の再編を使って説明してみました。

差分の差法は、そのうちの最も簡単な発想でできるものです。シンプルで適切な政策評価が求められている現代では、非常に有用な方法ですのでぜひ試してみてください。

*1:ここでは「不当に」コストを抑えるということは想定していません。必要なクオリティを保っていることが前提です。

勢いで始めてしまったので、まだブログの名前が決まってないんですよね。

 

前回の記事でも、私は文章を書くのが苦手だということを書きましたが、その理由の一つが、言葉のチョイスが下手ということがあります。

むやみに対立を煽ってしまうような言葉を選んでしまったり、他人に誤解を与える言葉を選んでしまったり、友人を傷つけてしまうような言葉を選んでしまったりと・・・

 

それも、慎重に選んだ言葉であるにもかかわらず、チョイスをミスるのです(汗)

 

なんというか、言葉のセンスがなさすぎて困ります。

おそらく記事のタイトルのセンスもたぶん悪い可能性が高いですが、それもトレーニングだと思ってご容赦ください。

 

多分書いているうちに、センスが磨かれて行くと信じているので。

そのためにも、少しずつ文章を書いてアップロードしていければいいなと思っています。

あとは、文体とかはブレブレになると思います。その辺りもご容赦願います。

誰にご容赦願ってんだr・・・考えないことにしよう

 

 

まぁ、ブログの名前を考えるにあたって

このブログでは何を書いて行くのかなーと考えていることは

 

 

○地方の大学院生活

○社会科学全般

○その中でも政策論

○公共政策

○教育政策

○財政ならびに地方財政

地方分権

地方自治

○経済学

政治学

社会学

○公共選択

○勉強法

○学習

 

 

などを書いていこうと思っています。

 

ただ、これらを題材に書こうとするとどうしても、記事もブログの命名も固くなってしまって嫌なんですよね。

なんか、ここに挙げた単語見るだけでも、人によっては頭痛くなりそうじゃないですか。

 

僕はそういう頭痛くなりそうなブログを目指しているわけじゃないくて、本当に興味がない人でも、社会科学ってちょっと面白そうだなって思ってもらえるようなブログも目指したいんです。どうせ書くなら、本来の練習って目的だけじゃなくて、人のためになるようなブログにもして行きたいなと思っております。

 

とまぁ。ここまで読む人がいるかわかりませんが、ここまで読んでいただいたあなたなら、お分かりになられると思いますが、僕の頭の中はかなりふわふわしているので、文章を書き始めると、「災害」を起こします。

 

ま、それも文章を練習して行くことで、どうにかして行きたいんですけど。

 

さて、しばらくは「タイトル未定のメモログ」って名前で書き続けて行きたいと思いますが、良さげなブログの名前が思いついたら、ちゃんと名付けたいと思います。

 

それでは、今回も読んでいただきありがとうございました。

 

 

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編集後記

 

んーーーブログって1記事だいたいどれくらいの長さで書けばいいかもさっぱりですわ。

他人のブログは大して読んだことがないですし、というかおそらく読んでるけど、最近のネットはすごいから、一般的なウェブサイトなのか掲示板なのか、ブログなのかよくわからなくなっている気がします。なんというか、それぞれの境界がよりわかりにくくなっているというか・・・

それも書いて行くうちに、徐々に理解して行きましょう。

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はてなブログ初記事

ブログを書くのは今回が初めてではない。というのも、いつもネタ切れやモチベーション不足で続かなかった。

 

それでは、なぜ今改めて、ブログを再開したのか。

 

それは、知識を収集するだけになっている私の現状を変えたほうがいいかなと「ふと」思ったからである。

私は地方の大学院に所属する学生だ。それも博士後期過程という、進むも地獄戻るも地獄な世界に、なんとなく足を突っ込んでしまった学生だ。(自戒を込めてかいているだけで、大学院でやっている分野は好きだし、それなりに楽しんでいます。)

 

話を戻して・・・

 

ブログをもう一度やってみようと思った経緯としては、

○科学での発見やアイディアをアウトプットできていない

 

ことにある。

 

確かに、研究者としてもアウトプットで最も重要なのは論文である。そして、いまの私には論文がないから、とっと書くべきであるのは事実だ。

しかし、論文は日常レベルで生産できるものではない。そこで、もっと気軽にアウトプットできたらいいなーと、「ふと」思っただけで。

 

そのことをする目的は

○考えの整理

○文章の練習

 

にある。

 

地方の大学院には優れた学習環境などメリットも多くあるものの、人がいないというデメリットもある。

そうすると、日々のアイディアとかがあまり、外に出さずに終わってしまう。もちろん外から入ってくる情報も少ない。そこで必要だと思ったのが、考えの整理を書き出してみること。そして、それに伴って、下手な文章を少しでもいいから、書いていき練習すること。

 

ただ、これまでの文章からも、ご察しかもしれないが、私は文章がド下手だ。

すぐに直るものでもないので、これからも下手な文章を書いて行くだろう。練習の一過程であるものの、OPENにする以上誰に見られるかわからない。直して行くつもりだが、先にお詫び申し上げたい。

 

そして、時には(いやほとんど)、自分に向けた記事を書くこともあるだろう。その時、誰かに見られる前提、いわゆる他者意識が欠如する可能性もある。

 

さて、何を言いたいのかというと

下手であるから、もし知らないあなたが見たとしても怒らないでね、ということだ。

 

 

それでは、今後なるべく書いていけるように努めたいと思う。

 

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編集後記

 

やっぱり、ブログないし文章を書くのは難しいです。

文章を書くとなると、多分余計な力が入るのかな。

ただ、最近わかったのが、私には収集グセがある一方で、アウトプットをしないということです。それを少しでも、自分の力にするには、ブログをもう一度始めてみるのもいいかなーって思ったんです。

それでは、下手なりに書いて行きますんで、どうぞよろしくお願いいたします。

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